夏を制する者は    2004年8月10日

 前述のとおり中高年の中国未踏峰登山にわが身の能力も省みず同行取材の手を挙げてしまって以来、身の置き所もないような焦燥の日々を送っています。
 あちこちから「大丈夫かい?」と声をかけられるたびに自己イメージと他人に与えているイメージの言い知れぬ落差に愕然となり、勤務時間中にもかかわらずフィットネスジムなんかに駆けつけたりします。そこで頼もしそうなインストラクターのおねえさんに事情を話すと「まかせなさい。当ジムが総力を上げてサポートいたしましょう」と心強いお返事。そのメニューに従って重量挙げを含む10種のメニューを3セットずつこなし、仕上げに30分走をやるともう息も絶え絶え。ビール1本がやっとで倒れてしまう毎日です。
 先週は、水平にばかり動いていてもはじまらないと、落雷でストップしたばかりの中央アルプス・千畳敷のロープウェイに乗っておっとり刀で2600mまで駆け上がり、短パンにズックの軽装で宝剣岳の鎖場続きの山頂に挑み、怖い思いをしました。そうこうするうちに登山隊の、登山靴やらシュラフやら、テント、アイゼン、ピッケルやら重装備品を梱包する作業があり、7月末に松本にオープンしたばかりのカモシカスポーツ(社長はあの今井通子さんのご主人)で買ったばかりの、まだ1度も試してない品々を荷造りしました。そのとき初めて会った登山隊のメンバーは平均年齢55歳にふさわしく、はげあり白髪あり抜け歯ありで見た目では少しも気後れはなかったけれど、よく見れば腹の出た御仁はひとりもなく聞いてみれば富士山未体験はわれひとり。9月の第1週に予定されている高所順応のための富士登山に向け背筋に寒いものが走りぬけました。
 というわけでマナスルに登っている総隊長(65)とエベレストに登っている登はん隊長(57)から「そうは言っても、富士山の前にどっかに登っといたほうがいいよ」と言われ、あさってから上田高校1組出身のH山と一緒に北アルプス・北穂高岳に登ることにしました。ちなみにこのHは先日も当掲示板で話題になっていた稀代の美少女と同級になった際、高1にして「隠微な女やな」という会話をしていたのが今も耳に残ります。なぜなら当時の小生は今から思うとあまりにうぶで、女性に形容詞に使われた「隠微」という単語に心覚えがなかったのです。そのとき、傍らで「隠微」の語意と、この場合なぜその語がふさわしいかを解説してくれたのは、北関東方面で誉れ高き碩学の幼友達でした。
   

次へ
  
戻る