忙しさ度100%の旅、駆け回った感じ。ぼちぼち土産話、聞いてねっ。映画に出てきた場所、ベネチア、特にサンマルコ広場界隈、感激した! 私がめがねかけたままうたたねしていたのを見た友人が二人揃って「ハリー・ポッターにそっくり!」と叫び、びっくりして飛び起きた私が見たものは・・笑いすぎてベッドから落っこちた友人の天井にはねあげた足!だった、ということもありました。 まったく、波乱万丈、色々ありましたが幸いツアーの食事はおいしくてトランクにしのばせて持って行った”梅がゆ”のお世話になることもなく多分太っての帰国だと思います。 とにかく主要都市の主要なものを早足で見る、というツアーなので散歩にはほど遠い旅行でした。が、かいつまんで旅行を振り返るつもりで書きます、飽きずに読んでね。 1日目まずは関空からウィーン経由でミラノへ。計16時間かかって(!)現地時間19時過ぎにたどりつきました。今回も勿論エコノミー、エコノミー慣れしている我々は100均で買った折りたたみ椅子を持参します。 ただ重いものを持つことを禁じられているBuは今回は1500円もだして空気でふくらませる足置きを買いました。これがあるとないとでは疲れが断然違います、庶民派の方にはお奨めします。 ミラノからホテルへ。そこでスーツケースを受け取るとBuのは持ち手が片方はずれ、友人Kのは裂け目ができてへこんでいる、ほかにもへこんだスーツケースがありびっくり。 添乗員さんの「大丈夫、航空会社もちできれいに直ります、私も10回以上直しました」の言葉にあきれるやらほっとするやら。 初日はとにかくたどりつくのみ。関西人4人のおばさんグループは二部屋に分かれ熟睡。32人のツアーで明日からがんばるぞ! つづく・・(はず)・・ 2日目7:15 ホテル出発 今日はミラノ市内観光 その後ベローナを経てベネチア泊まり予定になかったスフォルツエスコ城に寄られたことがなんといっても嬉しいことでした。 ・ スフォルツエスコ城 塩野七生の読者のBuと友達のSには本の中でとてもなじみのある名前。 15C、ミラノ公国の当主スフォルツア家の実力者イル・モーロが住んだ城、カテリーナ、ルクレツイア、などルネサンスの女性達が歴史に翻弄されつつ力強く生きた城、そう思うだけでワクワクしました。 イタリアには珍しい非宗教建築として重要だそうでレンガの重々しい、周囲に堀を巡らした城でいかにも戦闘がおこなわれたという雰囲気です。 大砲のように使ったという丸い直径30センチぐらいの石がひとかたまりに積んであったり、跳ね橋があったり。 アルファロメオの紋に似た蛇の紋章がいい感じです。 城を抜けると平和の門がありナポレオンがここからパリまで900キロの直線道路を作ったそうです・・。 丁度焼き栗(炭火です)の屋台が出ていて小粒ながらほくほくの栗をほうばり「道」にでてくるようなサーカス(?)テントをながめながらしばし城のまわりで憩いました。 ・スカラ座 ビットリオエマヌエル2世アーケード ドウオーモ スカラ座は修復工事中 垣間見える外観はとても上品。なんといっても世界一のオペラ劇場、一体何人の名のある作曲家、歌手、指揮者・・がここで演奏したかと思うと神々しい感じさえ・・。 アーケードは150年前にこれができたことが信じられない、いまやミラノっ子にはこれ以上ミラノらしいところは存在しない由。 私はアル・パッチ−ノが顧客だという帽子屋が目当てだったのでそこの前でパチリ。満足。 ドウオーモ 500年かけてつくられた総大理石のゴシック建築。 尖塔の数のすさまじさ、頂点の金のマリアは高さ100m以上。 中にはいってオペラグラスで眺めたけれど目がまわりました。 ・ ベローナ 城壁に囲まれた静かな、ロミオとジュリエットの街。アディジ川が街の中央を流れています。 オペラ好きの方には野外オペラで名高いアリーナがあります。2万人収容のこれはちいさなコロッセオのような感じです。 ジュリエットの家、シ二ヨーリ広場、エルベ広場。 エルベ広場の屋台でミニトマトとオレンジ(小粒で手で皮がむけます、日本のみかんににている)を買って食べてみました、どちらもおいしい。 途中白ワインのワイナリーによりながらベネチア着。 バスの中でも100均の椅子は足置きに大活躍。きょうは280キロも走ったそうです! 本日の食事 朝 アメリカンスタイルのバイキング 昼 ぺペロンチーノのスパゲティ トマト味のペンネ 甘いお菓子 夜 豆や野菜たっぷりのスープ サーモンソテー デザート つづく・・(予定)・・ 3日目3日目はもう私が一番期待していたベネチア、これは一度には書ききれないかも(めいわく〜、と言うのはだれだ!)。ははは、お付き合いしていただきますぞ!後ほど夜中にでもこつこつ書くからね〜。 この日は朝からうきうきして「今日はジェーン、と呼べ!」とみなに強要し嫌がられていました。 「旅情」でキャサリン・ヘップバーンの演じた役名です。 りえちゃん、イタリアのおのこ、うーむ、老いも若きもイケテルよ。じっとふかーい目でみる感じがねえ・・。 ちなみにこのツアーで一番もてたのは我が友K。ちょっとふくよか気味の彼女、ウインクされたり手をとられたり! イタリアの女の人もごついべっぴんぞろいなので「う〜む、あやつらに勝ったか!」とKは自慢たらたら! 3日目8時ホテル出発一番楽しみにしていた日。「旅情」の舞台が見られること、それにドラゴンお奨めのトスカーナの糸杉の丘やボローニャの辺りを走るからです。 ・ゴンドラ ホテルはベネチア本島の外だったのでバスで出発し途中下車、水上バスに乗り換えて上陸。 ベネチア本島の中は車が入れない。 「旅情」のジェーンはサンタルチア駅からやっぱり水上バスに乗ったなあ、と思いつつ。 ここはアドリア海、と思っていたらラグ−ナと呼ぶ”潟”だそうで、バスからながめる海や島、それに本島の景色も素晴らしい、薄日にキラキラ輝く海、褐色を薄くしたような中間色の家々・・。 あっ、みえてきました、あれは写真でみたサンマルコ寺院、それにドゥカーレ宮殿! さて島に上陸、ゴンドラに乗るためにそちらの船着場まで歩く。 その広場前には最高級ホテルダニエリ。銃を持って警備してるよ、国賓級がお泊りかな。 4階の窓から窓枠に手を重ねて海をみている女性、さまになりすぎ! 外観のダニエリはどうってことないけど中はすごいんだって。 さてゴンドラは6人乗り。船頭さんはがっしりした中年男性。大運河カナルグランデに行くかと思いきや小さな運河だよ、そりゃそうだ時間ないもんね・・。 それでも運河の両側には古い教会やホテルが並びゴンドラガレージがあったりし、行き交う舟も日用品を積んでいたりホテルの物資を積んでいたり面白い。 船頭さんがおきまりのカンツォーネを歌ってくれる、なんかしみじみしてちょっと寂しい感じだよ、私はゴンドラの船頭さんはみんな歌を歌ってくれるものと思っていたけど他の舟では歌なしのところもあったそう。 ゆらゆら不安定に揺れながらう〜ん、わたしゃ、ベネチアにいるんだあ・・とめまい気分。 べネチアはその昔蛮族に追われた人々が海に逃げ干潟に杭を打ち込んで苦労して自分たちの家を作って広げていったんだって。 船着場にはそれを思わせるような太い杭が打ち込まれていてなんか心引き締まる感じです。 さていよいよ次はサンマルコ広場です。 つづく・・ ・サンマルコ広場 「旅情」で、ジェーンとレナ−トが出会った場所です。ロッサノ・プラッツィみたいな人いないかときょ〜ろきょろ。 カフェがいくつかあってどこが撮影場所かわからない、カフェフローリアンか? でも残念なことにゆっくりする暇がないんだよね、オープンカフェに座って写真をとってもらうのが精一杯、ツアーの悲しさ。 ロッシーニを演奏していたバンドはどこにいたんだろう、はっきり場所がわかると信じていたのにウロウロする、悲しいよ。 大理石で囲まれた優美な広場、前は海、う〜ん、映画にするには絶好のポイントだと納得。 しかしめちゃめちゃ鳩が多い、ちょっと油断していたら腕に止まられた、鳩が恐い友人Nはかたまっちゃってこっちに来られない。 しかしついにジェーンとレナ−トの影をふ〜んだ!というさわやかな気持ちになり嬉しい。 この広場に面してサンマルコ寺院とドュカーレ宮殿があります。 ・ドュカーレ宮殿 アントニオという生粋のベネチア人だというガイドがつきました。 現在ベネチアは物価が高く税金も高いためどんどん生粋のベネチア人が少なくなってしまったと彼は嘆いていました。 ほんとうのベネチアのお金持ちは500年前からの財産で生きていて、いまもってまったく働かないそうです。 そういう財をこの宮殿でみてください、ということでした。 ベネチア共和国のドージェと呼ばれた大統領(共和国なので王様ではない。互選で選ばれ一旦ドージェになると終身だと)はこの宮殿のたくさんの絵画に登場しています、帽子を被ったマントスタイルが定番です。 この金持ちめ、とBuは話し掛けましたがせせら笑っていましたよ。 この宮殿はそのドージェの住居でありながら政庁。評議会場(世界最大の油絵ティントレット「天国」がありました)、裁判所。まあ、豪華絢爛なしつらえ。 ところどころ模写だったり絵がぬけていたり。「ナポレオンがとっていきました、今はルーブルにありますよ、大泥棒め」とアントニオ。 この宮殿と東隣の牢獄をつなぐのがかの”ためいき橋”。有罪の判決を受けた囚人がこの世のお別れにためいきをつきながらこの橋を渡ったそう。 Bu達も牢獄にいってみましたが冷たい石造りで寂しいものでした。ちなみにはじめこの橋は”死の橋”という名だったそうですが詩人バイロンにこんな一見ロマンチックな名をいただいたそうです。 あとベネチアングラスの工房にいきました、”サマータイム”(「旅情」の英語版タイトル)という名のグラス(あのジェーンが買ったあの赤いワイングラスです)が売られていて強烈な引力がありましたがお財布が許してくれなかったんだよ・・。 さて薄暮のなかポー川(多分)を越え、こんな季節なのに結構緑が残っている風景、糸杉の丘、それにボローニャの標識をみつつフィレンツエへ。 トスカーナがどの辺りかはっきりしないんだけど、むしろローマに向かう時の方が明るくていいかなあ。 今度は2連泊、やれやれ。 本日の食事 昼 イカ墨のスパゲティ(おはぐろ状態になりお互いの顔みてどんだけ笑ったか)イカとエビの から揚げ サラダ カフェオレ 夜 ラザニア ローストチキン フルーツサラダ イカ墨。 投稿者:パコ地中海は食の宝庫なんですね。スペイン料理にもあったので思い出しました。ローマ帝国以来の共通の食文化の伝統と思いました。 スペイン料理のイカ墨はメインがバレンシア米で、丁度カレーライスの盛り方です。 スーパーマーケットにはイカ墨の缶詰も定番で売っていました。「おはぐろ」はともかく、あのドロリが実にコクがあって旨いのです。 なっつかしー・・。 ちなみにカフェ・オーレはスペインではカフェ・コン・レチェ。 パコ下宿の叔母さんは、コーヒー等分と牛乳等分を目測で計り、どちらも等しく温めて、でかいカップに注いでくれました。 パコさん確かにイカ墨は美味しい食材ですね。ごはんにかけて食べるの? しかしあのおはぐろは女性の敵ですよね、恋人どうしだと食べられないかも。 我々は二人ずつ対面で座ったので遠慮会釈無く大爆笑しましたがツアーの仲間どおしの、遠慮がある関係で座ったほかのテーブルは静かなものでした・・。 4日目今日は午前中はフイレンツエ市内観光、午後は(オプションのピサ観光に不参加)自由行動です・ウフィツィ美術館 フイレンツエ公国のオフィス=ウッフイツィ、がおかれていたことからついた名前 。メディチ家が財力かけて集めたルネサンスの傑作がいっぱい。 まず”盗む”予定のボッティチェリの「ビーナスの誕生」「春」。これはやはり盗ませていただきました。 ビーナスの物憂げな顔、これは芸術家たちのパトロンのメディチ家の勢力が衰えてきたこととも関係あるそうです! 防弾ガラスに守られていましたがこのブルーのなんとやさしく美しい。 フィリッポ・リッピの「聖母子」、ラファエロの「ヒワの聖母」。 あと本に出てきたウルビーノ候の「夫婦の肖像画」。 あんまり盗んだら持って帰れないのでこの辺で。まあ広すぎて疲れたぞな。 窓からアルノ川が見え向かいのビッティ宮殿とを結ぶポンテ・ベッキオ(ベッキオ橋)が絵葉書のごとくみえます。 ・ドゥオーモ(花の聖母教会) フィレンツエの宗教の中心。ルネッサンスのあまたの芸術家たちが建築や彫刻や絵画を担当しつくりあげられたもの。 大聖堂の天井のフレスコ画、洗礼堂の「天国の扉」(ギベルディ作。あまりの美しさにミケランジェロがこう賛嘆したそう)、ジョットの鐘楼などなど・・。 ・ベッキオ宮殿 共和制のフィレンツエ人が議論を戦わせたというシ二ヨーリ広場、これに面して立ち、今も市庁舎としてまた国際会議場として用いられている由。 このシ二ヨーリ広場で解散。自由行動派とピサ観光グループに分かれる。 添乗員の山崎さんは自由行動派が心配でならない様子。 朝バスを下車したゼッカの塔に20:30、必ずおいで下さい、迷子になった場合は私の携帯に(テレフォンカードの買い方まで)連絡、もしくはタクシーでホテルに・・等細かい指示あり。 さあ、我々はこの後どこへ行ったかというと・・。 まずレストランでピザ、スパ、ラザニア。美味しいので食べ飽きない。 4種の料理とワインでチップもいれて50ユーロ(6500円ほど)。 後はぶらぶら観光。 Buは色々な”紙”を置いてある店が気に入りました。 絵は勿論スタンプやレターセット、カレンダー、ノート等等、渋いお店の雰囲気も良かったよ。 ベッキオ橋で金細工のお店をひやかしたり(この道の両側ずら〜っと金細工の店ばかり。ぎんぎんきらきら)、ブランド通りのトルナボーリ通りに出てそれはそれはたのし〜いお買い物、バール(これはイタリアのどこの町にもたくさんありちょっとコーヒーやジュースをのんだり、ところによってはアルコールも、またアイスクリームも。 たいてい立ち飲みだけど料金が高くなっていいのであれば座ることもできる)で練習してきたセリフ「ウン・カプチーノ・ペルファボーレ」を言ったり、靴を買ったり・・エトセトラ。 帰りの待ち合わせ場所に歩いて行くには疲れ果て途中にあったホテルのベルマンに頼んでタクシーを呼んでもらう。 (これは大正解で山崎さんに誉められた。流しのタクシーはないしホテルでよんでもらうと車のナンバーまでわかるので安心なんだと。) 今日は一日かなりの雨降り、雨のなか人通りのないゼッカでバスをまつこと十分ほどか、心細くなりかけた頃バスが! 山崎さんが嬉しそうに飛び降りてこられ手を握って「よかった、よかった、ちゃんとこられたんですねっ」 とあんなこんなでとにかく疲れた一日。ホテルで遅い夕飯となりました。 夜 バイキング(これがなかなか良かった。とくにサラダ類が豊富。豆のサラダがとくに美味) 5日目今日はフイレンツエからローマに向かいます。途中アッシジに寄りますが、なんてったって350キロ程の距離、ちょっと腰が引ける感じで出発です。 でも今日はトスカーナの自然を満喫できることとローマのサンピエトロ寺院でミケランジェロの「ピエタ」を見られることが楽しみです。 ・バスの窓から 南へ南へとひた走るバス。 多分この辺りもトスカーナと呼ばれる所なのでしょう、ゆるやかな丘、そしてなんとこの季節に緑濃い糸杉(これはどうしてこんな可愛い姿をしているのでしょう)、灰緑色のオリーブ畑、葉をほとんど落としたぶどうの畑、そして松もところどころにあります。 ゆるやかな丘は草(?)が一面を覆った緑の所と耕したのか土色が覆っている所とあり対比が美しい。 点在する家はどれも大きな構え、ぽつんと一軒ぽつんとまた一軒、どんな暮らしがあるのか聞いてみたい感じ。 これを詩情溢れる景色、というのでしょう、Buのつたない語彙では表現できません、こんなとき絵ってあるんだなあ、としみじみドラゴンの絵や奥様の型染めを思い出していました。 ・アッシジ 12Cの聖人フランチェスコの教会がある街。 ずんずん丘を登っていったところにその教会はありました。 清貧の、と称されるというフランチェスコ、丘の上から眺める眼下の平野はその聖人の心に映ったそのままの景色なのでしょう、さわやかで、静謐、風吹き渡り・・そんな感じです。 教会は上下二つに分かれる構造で上下ですこし雰囲気が違います。 静かにお祈りされている方が何人か、我々も足音をしのばせて廻りました。 フランチェスコのエピソードを描いたジョットのフレスコ画が有名ですが内部が薄暗く絵自体も色淡い感じでした。 教会の建物やまわりのホテルなどの色が白からピンクに変わりゆくような微妙な色合いで優しい雰囲気です。 バスはテベレ川の支流を右左にみながらひたはしります。ローマで遅い昼食をとりまずはバチカン市国に向かいます。 ははは・・てへへ、読んでくれてありがとう。 この駆け足旅行で一番忙しくまた数々みられないまま通り過ぎたのがローマです。 とにかく市内にはいるやバスの窓からみえるのは遺跡だらけ。 2000年前がもうあっちゃこっちゃにあって市民の生活が遺跡とともにある感じ。 しかもいままできた都市もかなりなものだったけど、ここが一番交通ラッシュ、ちょっと掘れば遺跡!という土地柄、駐車場が簡単に作れないとはいうものの車だらけ、道路には隙なく駐車していてゴツンゴツンと前後に当てながら発車しています。 速力を落とさず走ってくる車に”アッ、当たる”と何度かバスの中で声が出ました。 若い友人が新婚旅行のローマで乗ったタクシーの運転手、口論の挙句トランクから鉄パイプを持ち出し流血騒ぎになってとても恐かった、と聞いたけどう〜ん、ありえる! そんなでどの都市でも小型車が断然多かったのが印象的です。 ・サンピエトロ大聖堂 皇帝ネロのもと磔刑で殉教死した聖ペトロ(ピエトロ)をまつるカトリックの総本山。 これが建っているサンピエトロ広場とともにまあ、なんという大きさ! 広場で両翼を広げて迎えてくれるのはベルニーニの円柱廊。 ドーリア式円柱が280本余、円柱廊のてっぺんに林立する聖人達の像、140体。 この円柱が側に寄ってみると太い!広場の中央にはネロゆかりのエジプトのオベリスク。 見上げる大聖堂のてっぺんにはミケランジェロの設計という大ク−ポラ。 広場の右奥には法王宮があります。 (私たちが帰る時三つの窓に法王ご滞在のあかし、灯りがついていました) 寺院に入ってすぐ右側奥まったところにわあっ、あ、ありました!ミケランジェロの「ピエタ」です。 防弾ガラス越しとはいえ意外に間近です、 23〜25才という若き天才が刻んだこの美しい彫刻、思い出してもじわっときます。 磔刑からおろされたキリストを抱く母マリア、キリストの年令からいって我々と同年齢か。 それにしてはマリアはあまりにも若く麗しい、けれど一母親として子どもの遺骸を愛しそうに抱くマリアに共感を抱くのは人類の共通項では。 マリアが信仰されるのも無理ないかな、と納得させられるものを感じました。 ほんとうに美しい彫刻です、これが見られただけでも・・と思わせられました。 ・コロッセオ トレビの泉 など フォロ・ロマーノを右手の高台にみつつコロッセオ、2000年、という時を重たく重たく感じます。 フォロロマーノは行ってみたい場所でしたがながめるしかありません。 トレビの泉はライトアップされる時間帯の方が人気だそうで我々も夜のコースです。 空高く飛ぶ鳥も白くライトアップされ美しい。ネプチューンや女神像を見つつ”肩越しコイン投げ"をBuもしました、日本の10円硬貨。(5円を投げたかったけどなかったんだよ) しかしこの辺りはすりが最も多い所だそうでガイドが「周りはみんなすりですよ、弱い者から襲ってきますよ」と脅すのでみなバッグをジャケットの下に押し込み妊婦さん状態。 駆け足の一日で記憶がはっきりしません。今晩、明晩とローマで連泊です。 夜 魚(かれい、かな)のムニエル あとなんだったか・・ 6日目6日目はポンペイ、ナポリに行きました。ツアーと別行動してローマをもう一日歩こうか、とも話し合ったんだけど、まあ「ナポリを見て死ね」といわれる程の街だしやっぱり行こうか、ということになりました。 今日は先ずポンペイに行き遺跡観光、その後ナポリに行きます。 ナポリで本場物の”ラクリマクリステイ(キリストの涙)”を飲もう、と張り切っています。 ローマに帰ってからはカンツオーネディナーを予約してあります。 ・ポンペイ バスの窓からカプリ島がみえます。 妊婦が仰向けに寝た格好といわれるこの島、青の洞窟で有名です。 憧れのナポリ湾ですが今日は風雨が強く青の洞窟どころかカプリ島に渡るのも難しい由。 遠くシチリア島に続く真っ青な海・・と想像してきた身には鉛色の海がうらめしい。 さて、言わずと知れた約1900年前ベスビオ火山の噴火で一瞬に火山灰の下に埋もれてしまった街。 以前神戸で「ポンペイ展」があり見に行ったことがありますが実際にベスビオを眼前に見ながら遺跡を歩き街のただならぬ大きさに、そしてこれほどのものが近代まで眠っていたことに驚くばかりです。 ガイドに従って雨がときには大降りになる中ぬれそぼりながら歩きます。 ベスビオ火山を望んで建つ神殿跡、石畳に残る轍の後、車止め、鉛の水道管、パン焼き釜や石臼、居酒屋、浴場跡(壁が二重構造なんだよ、天井の雫がちゃんと壁を伝わって落ちるようになってるし)、なんと売春宿も・・。 裕福な家の跡に残るモザイク。玄関先に鎖に繋がれた黒い犬のモザイク、その前になにやらラテン語で書いてあるモザイクは「猛犬注意」なんだって。 ほかにも「PAX]というモザイクがありました、これはラテン語で「平和」という意味だそう、意味深。 ポンペイの赤とよばれる褐色がかったあの赤が廃墟になんとも似つかわしくみえました。 一瞬にして灰に埋もれた人の苦痛に満ちた顔体、そのものも無造作に展示してありちょっと違和感が残りました。 いつもいわれることですが人間の”進歩”って何? 2000年後・・、今の時代はどう評価されるのでしょう・・。今例えばイラクが一瞬の内に灰に閉ざされたとしたら・・。 ・ナポリ 今朝テレビで”ナポリで何か(言葉がわからない悲しさ)国際会議がある”、と言っていた、そのせいか街中にパトカーが多く規制が多い様子。 下車予定地で下車できなかったりガイドも困っている様子。 行ける所まで行って見ます・・と頑張っているが結局殆ど車窓から見ることになった。 師匠は行きたいだろうね、サン・カルロ劇場、これもながめるだけです。 やっとサンタルチア港で下車、卵城がナポリ湾に突き出た島に建っています。 がっしりした石造りのお城、右手のメルジェリーナ湾、市立公園が湾岸にのび雨はあがったものの風強く寒さにジャケットをかきあわせながら写真撮影。 お昼はあれなんだったかなあ、忘れてるよ、えーとねえ、最初にシチリアオレンジのフレッシュジュースがでたよ、赤い色のジュース、美味しい!お魚のから揚げだったかなあ、リゾットと、そうそう勿論”ラクリマクリスティ”いただきました、すっきりしておいしかった、食後のアイスクリームがこれまた絶品、なんだろう、ラムレーズンに似た味、黒い切片みたいなのが入っているんだけどなんだかわからないまま。 お後はカメオ工場見学、細かい作業、熟練の技、美しいものでした。 ・カンツオーネディナー 小さなレストランで、王様が着るみたいなビロードの長衣を着た男性歌手二人と女性歌手、ピアノ奏者、この人たちが面白おかしい振りつきで熱唱してくれました。 言葉がわからないので残念でしたが様子から恋のさやあて、という雰囲気。 最後の夜なのでワインもたくさん飲んで知っている曲は一緒にくちずさんだりの楽しいひと時でした。 明日はローマ発10:45の飛行機で出国です。スーツケースのパッキングにてまどりつつ就寝。 じ・えんど 長らくのお付き合いありがとうございました!りえちゃんも帰りの飛行機にちゃんと乗ったよね?! |